もうひとつのたにるぽ

たにのルポルタージュ。略してたにるぽ。その2。

雑記ブログなので雑記ブログなりに雑記する

こんばんは。今日は書くと決めて、実際に書いてるたにです。

いや、昨日も書こうと思ってたんですよ。
実際書いてたんですよ。途中まで。

ただ、なんか違うなーとか、もっとちゃんとしたこと書きたいなーとか、理想が高くなりすぎちゃって、、、そこから全然書けなくなっちゃったんですね。

で、今日は気持ちを切り替えて、理想はちょっと置いておいて、書いてみようと決めてました。で、書いてます。

というわけで、雑記ブログなんだから、雑記ブログなりに、雑多に雑記していきます。自分なりに。

髪を切りました。

えーと、3日前の話ですが。髪を切りました。
で、連休明けで職場に行くと早速上司に気づかれました。
で、その上司もどうやら髪を切ったらしく、僕はそれに気づきませんでした。

はい、流石にどうでもよすぎる話でした。

適宜、適切な場面で適当になりたい。

前から思ってたんですけど、「適当」ってすごい便利な言葉ですよね。聞き手の受け取り方次第で幅広いというか。

「適当」とか「テキトー」とか、文字にしちゃうとある程度ニュアンスが定まっちゃいますが、話し言葉の状態だと「いい加減でよい」と受け取っても良いし、「適切適度に相応しくせよ」と受け取ることもできる。

なので、なるだけこの表現を使わないようにしています。曖昧なので。あえて使うときもありますが。

んー、なんでこんなこと考えたんだっけ・・・。

あ、「願う」と「祈る」だ。
この2つもなかなかくせ者だと思いませんか?

仕事のメールを書いてる時に、自分では何もできない状況なんだけど、結果的に実を結んでほしい、みたいなことを伝える文章を考えていて、

実を結んでほしいと願っています。

とするか、

実を結んでほしいと祈っています。

とするかの、どちらにするかで悩んだんですよね。

で、google先生にも聞いてみたんですが、これだ!という結論は自分の中で得られず。いや、先生はちゃんと教えてくれたんですけどね、僕が理解しきれず。。

で、結局は「願っています」を使いました。
理由は、こっちの方が自分が主体的な印象がある(祈るの方が放任してる気がする)のと、祈るってなかなか使わないなと思ったからです。

もう10年以上社会人やってますけど、最近メールを書く場面が増えたせいか、こういった言葉が持つ意味を調べる機会がすごい増えてます。自分の理解が合っているかを確認するために。日本語ってムズカシイ。

ちなみに、このブログを始めたのも言語化の機会を増やして自分の知識向上、文章力アップに繋がってほしい、という願いが込められてたりします。
この願いが無事、実を結んでほしいと祈っています。

契機は待つものではなく、自分で作るもの。

はい、自分自身の意識を高揚させるための、自己啓発なやつです。
意識高いですね。

いや、でも、本当にそう思うんです。変わるきっかけっていくらでも転がってるというか。それを見つけて行動に移せるかで結果が変わると思ってます。

あと、小さなことでもきっかけを捉えておくことで、忘れずらくなるというか、思い出しやすくなるというか、蓄積できるというか。ちょっとだけ自分の人生がドラマティックになるとも思います。

伏線は物語を構成する上での常套手段ですから。回収できなくなるくらいたくさん張ってしまいましょう。

ちなみに、自己啓発した後の自己研鑽も重要ですね。実行あるのみ。

まとめ

ふー。書きました。今日の目標達成。
今日はそこそこスムーズに書けた気がします。少なくとも昨日よりは。

おそらく、自分は整理するのが苦手なんですね。雑多に書きなぐった方が書ける気がする。というわけで、当面は整理することを放棄して、雑記しようと思います。書くことを継続するために。

ではでは。